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東京高等裁判所 昭和51年(う)1351号 判決

被告人 高石正博

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人田原俊雄、同加藤雅友連名作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一、第二(事実誤認及び法令適用の誤りの主張)について

所論は縷縷主張するが、その骨子は要するに、(1)本件事故は、蕨変電所の保守の欠陥、過密ダイヤをさばくための便法としての船橋駅構内上り一号信号機の設置、船橋駅改良工事による見通しの悪化、運転士に対するATSについての教育指導の不備等、日本国有鉄道(以下国鉄と略称する。)の企業組織体としての制度上の欠陥ないし重大な落度が原因となつて発生したものであり、本件事故につき責を負うべきは国鉄当局であつて、被告人が本件においてとつた措置は、当時被告人が置かれた状況のもとにおいては、やむをえないものとして何ら責められるべきものではなく、したがつて本件事故につき被告人には過失がない。(2)仮に被告人が原判示のごとき注意義務を尽くしていたとしても、事故の発生を回避できなかつたのであつて、被告人の所為と本件事故との間には相当因果関係がない。(3)被告人の運転士としての経験の浅さ、本件において被告人が置かれた状況等にかんがみれば、被告人に対し他の行動に出るよう期待することはできず、したがつて被告人には期待可能性がない、などというものである。

しかし、原判決挙示の証拠を総合すれば、同判示の業務上過失往来妨害、業務上過失傷害の事実は、被告人の経歴及び犯行に至る経緯の点を含め、すべてこれを肯認するに十分であり、また原判決が弁護人及び被告人の主張に対する判断の項において説示するところは、いずれも相当としてこれを是認できるのであつて、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討しても、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認ないし法令適用の誤りは存しない。

すなわち、原判決挙示の証拠を総合すると、

1  被告人は、昭和三九年高校卒業後国鉄に入社し、機関助士、電車運転士見習などを経て、昭和四六年一〇月一五日電車運転士となり、津田沼電車区に所属して、電車運転の業務に従事していた者であること、

2  被告人は、昭和四七年三月二八日、国鉄津田沼駅発三鷹駅行第七一一C電車に運転士として乗務し、同日午前七時一六分三〇秒ころ、津田沼駅を発車して船橋駅に向かつたが、その際両駅間に設置された上り第一閉塞信号機が減速信号を現示しているのを現認して進行中、突然、同電車に設置されているATS(列車自動停止装置)車上装置が作動して警報ベルが鳴動したこと、

3  そこで被告人は、規則どおり、常用ブレーキにより直ちに制動を施すとともにATS確認ボタンを押し、いわゆるATSの確認扱いをして停止したが、本来ATSが正常に機能している場合には確認ボタンを押すと同時に警報ベルが鳴り止み、赤色灯が消灯するはずであるのに、その際には、赤色灯は消灯したものの、警報ベルは鳴動を止めなかつたこと、

4  右のようにATSが作動した原因は、前途に電車等の障害物があつたためではなく、信号電流を供給している蕨変電所の架線が切断し、信号電流が途絶したことにより、同電流による軌道上のATS回路が消失し、前途に障害物が存する場合と同様の状態になつたためであるが、このような信号電流の消失に基づくATSの作動の場合には、ATSの構造上、通常の場合と異り確認ボタンを押しても警報ベルが鳴り止まないのは当然の帰結であり、本件ATSに格別故障が生じていたわけではないこと、

5  ところが、被告人は、運転士としての養成並びに実務期間を通じ、信号停電という事態に遭遇したことがなく、かつATSの右のごとき構造上の特質について教育指導を受けたことがなかつたため、本件におけるATSの作動及び確認ボタンを押した後の警報ベルの鳴動の継続が、信号電流の停電に起因するものであることに思い及ばず、そのため不審の念に駆られて、ATSの車上電源を切つたり入れたりしたが、依然としてATSが正常の状態に復しなかつたため、ATSが本来作動すべきでない時点において作動したことをも考え合わせて、原因は不明ながらATSが故障したのではないかと思つたこと、そして被告人は、約一分間停止した後、警報ベルを鳴動させたまま、上り第一閉塞信号機の前方に設置されている船橋駅上り場内信号機〈二〉号(以下単に場内信号機という。)の現示を確認すべく、電車を発進させ、同信号機を見ながらその約五〇メートル手前の地点まで進行したが、同信号機は停電のためもとより何らの信号現示をもしていなかつたのに、被告人は、朝日の反射のために同信号機の現示を見ることができないものと思い、その地点でさらに場内信号機の前方二二四メートルにある船橋駅構内上り一号信号機(以下単に構内信号機という。)を見たが、もとより同信号機の現示をも確認できず、また軌道が船橋駅の手前で左に湾曲しているため、右地点からは船橋駅構内の先行電車の有無を見通すことはできなかつたこと、

6  ところで、国鉄の運転規則上、信号現示を確認できないときは、安全の確保のため、停止信号を現示している場合と同様の取扱いをし、当該信号機の五〇メートル以上手前の地点で停止し、当該信号機が構内信号機を含む閉塞信号機の場合は、次の信号現示を確認できるまでの間一五キロメートル毎時を越えない速度で、かつ前途の見通し距離以内で停止できる速度で、いわゆる無閉塞運転により進行すべく、また当該信号機が場内信号機の場合は、これを越えて進行してはならないこととされており、被告人も十分これを承知していたこと、また前記のとおり、被告人が上り第一閉塞信号機を見た際には、同信号機は減速信号を現示していたのであるから、信号機の系統上、その時点においては、場内信号機は注意信号を、構内信号機は停止信号をそれぞれ現示していて、船橋駅に先行の電車が停止していることを当然予測できたこと、

7  ところが被告人は、右時点以降の時間の経過により、前記場内、構内各信号機を見た際には、先行電車はすでに船橋駅を発車し、場内、構内各信号機も右時点におけるよりもゆるやかな進行規制を表す信号を現示しており、この現示がいずれも朝日の反射により確認できないものと考え、右各信号機の現示を確認しないまま、二ノツチで力行して場内信号機を通過し、同信号機通過後約五〇メートルの地点でノツチをオフにしたものの、構内信号機の現示を確認せず、かつ船橋駅における先行電車の有無を見通せないまま相当の高速で進行を継続し、しかもその間ATSの故障状況を把握することに気をとられ、ATS警報器の方に目をやつたりなどして前方に対する注視を欠いたため、同日午前七時二三分ころ、構内信号機の四〇ないし六〇メートル手前に差しかかつて前方に目をやつた際、構内信号機の前方約二〇メートルの地点に、信号停電のため船橋駅構内に停車中の先行電車をはじめて発見し、直ちに非常制動の措置をとつたが及ばず、自車を約三〇キロメートル毎時の速度で先行電車に追突させ、双方の電車の乗客合計六〇一名に対し、原判示のごとき重軽傷を負わせるという事故を惹起したことの各事実が認められる。

以上認定の事実をもとに、被告人の過失の有無について判断するに、およそ本件のごとき鉄道交通にあつては、多くの電車が同一の軌道上を高速で走行し、しかもその制動距離は相当長距離であるところから、先行電車等の動静を確認してから制動措置を構じても間に合わない場合もあるため、信号機を設置して、その信号により運転士に前途の交通状況等を予知させ、信号の表示に応じた適切な速度と方法によつて運転させることにより、交通の安全保持を図つているのであつて、信号の機能がこのようなものである以上、信号の表示に従わない運転方法が、重大事故に直結しかねないことはみやすい道理であり、それゆえ、信号の表示を確認すべきことは、運転士にとつて最も重要な、基本的注意義務の一つであることはいうまでもない。しかも本件においては、被告人は、ATSが作動した際には、上り第一閉塞信号機が減速信号を現示しているのを現認することにより、先行電車が船橋駅に停車していることを予測できたのであり、右電車が、例えば車両故障や不時の事故等のために駅構内に滞留を続けることもあり得ないことではないのであるから、被告人としては、先行電車が船橋駅を発車したことを確認できない以上、同駅構内に進入しようとするについては、構内信号の現示確認のため、同信号機に対する注視をとりわけ厳にしてこれを確認したうえ、同信号機の表示するところに従い、先行電車との間の安全を確保できる速度と方法により運転すべき義務があつたといわなければならない。

しかるに被告人は、構内信号機が停電により消灯していたのに、朝日の反射により信号が見えないものと速断しかつ先行電車がすでに船橋駅を発車しているとの誤つた予測のもとに、同駅構内近くに至るまでの間、構内信号機に対する注視はおろか、前方注視自体を欠いたまま、しかも相当な速度で、自車を走行させたというのであるから、被告人に過失があつたというべきことは明らかである。そして、仮に被告人が、構内信号機を注視して同信号機が消灯していることを確認し、運転規則に従い同信号機が停止信号を表示している場合と同様に同信号機の手前で停止できる速度と方法により自車を運転したならば、本件事故を回避できたことはいうまでもないから、被告人の右過失と本件事故との間に法律上の因果関係があるというべきこともまた明らかである。

なるほど、被告人が右のごとき過失を犯すに至つた縁由は、信号電流の停電のためATSの警報ベルが異常鳴動し、その原因を知ることができなかつた被告人において、右現象がATSの何らかの故障によるものと判断して、その故障状況の把握に気をとられたためであり、被告人が右のごとき判断をしたのは、被告人がこれまでに受けた教育の程度に照らし、まことに無理からぬところであつて、被告人が経験の浅い新任の運転士であつたことに加え、記録上認められるように、被告人が運転士として、ATSの故障状況を報告すべき義務を負うと同時に、過密ともいうべき電車運行ダイヤを可能な限り保持すべき義務をも併わせ負つていたことを考慮すると、当時被告人が、相当に狼狽したであろうことは容易に推認でき、しかも被告人が信号停電という事態に遭遇した経験がなかつたことをも考え合わせれば、被告人が本件当時に置かれた状況には、十分同情に値するものがあつたといえる。

しかし翻つて考察するに、被告人に課されていたのは、要するに、ATSの故障状況の単なる報告義務にすぎず故障原因の糾明や、その補修義務までをも課されていたわけではないのであり、被告人において、ATSが故障していると判断したならば、その電源を切断して、次駅までの間ATSの機能を欠いたまま運転し、次駅においてその後の指示を仰げば足りたのである。しかも、ATSの故障は、その性質上、たとえばブレーキの故障などとは異なり、直ちに運転上の支障や危険を生じさせるというわけではないのであつて、これらの事情にかんがみると、被告人が右のごとき状況に置かれたからといつて、そのことから直ちに、所論のように、被告人において、運転士にとつて最も重要な信号注視義務を欠いてもやむをえないとか、被告人に対し右注意義務を尽くすことを期待することは不可能であるなどといえないことは、いうまでもないところである。

更にいえば、本件のごとき事態に立ち至つたについては、蕨変電所の架線切断事故がその端緒をなしており、しかも、国鉄当局による運転士に対するATSの構造等の教育指導が十分でなかつたことが、被告人に無用の混乱を与え、これが被告人をして本件過失を犯すに至る縁由をなしていることなどにかんがみると、本件事故については変電所の保守の欠陥や、運転士に対する教育指導の不備という点で、国鉄当局にもその責任の一半があつたことは否定し難いところであるが、だからといつて、所論のように、本件事故の責はあげて国鉄当局が負うべきであるとし、運転士である被告人に過失がなかつたとするがごとき見解には、たやすく左袒することができない。国鉄が、巨大な機構を利用して多くの旅客や貨物を輸送することを営業内容としており、その機構の一部に破綻を来たした場合には、本件のごとき大きな事故につながりかねないことを考えると、国鉄当局としては、そのような事態が生じることのないよう、可能な限り安全保持のための努力を傾けるべきであることは多言を要しないところであるが他方、そこで勤務する職員、ことに電車運転の業務に従事する職員としても、常に人命を預りながら業務を遂行しているという、その職務の重大性を深く自覚し、万が一にも業務遂行上要求される注意義務を欠くがごときことのないよう、精進すべきことも、また疑いのないところである。

ところで所論は、被告人が上り第一閉塞信号機の減速信号の表示を現認してから船橋駅構内に進入すべく進行するまでの間に、同駅に停車していた先行電車はすでに発車しているのが日常の運行における常態であり、したがつて被告人には、本件のように、同電車が同駅に滞留し続けているという異常事態まで予測すべき義務はないとして原判決の認定説示を非難する。

しかし、先行電車が何らかの理由で通常の停車時間を越えて船橋駅に滞留し続けるという事態も起り得ないわけでないことは前説示のとおりであつて、たとえ、被告人の電車が船橋駅に差しかかるまでの間に先行電車が同駅を発車していることが、通常の事態であるとしても、そのことのゆえに、被告人に対する前途の信号確認義務が解除されるなどとは、到底解することはできない。けだし、かかる見解は、信号が果たすべき機能を全く無視した見解であつて、このような見解を容認するときは、先行電車が通常の時間を越えて駅構内に滞留するときには、後続電車による追突事故の発生を不可避とするがごとき結果を招きかねないのであるから、その不当性は自ずと明らかである。

更に所論は、原判決が、蕨変電所の保守の欠陥、船橋駅の改良工事による見通しの悪化、構内信号機の設置等の事由と本件事故との間に法律上の因果関係がない旨説示した点をとらえて、原判決を種々論難する。

しかし、所論が指摘する事由のうちには、例えば変電所の架線の切断事故のように、これがなければ本件事故も発生しなかつたであろうという意味において、本件事故に対しいわゆる条件関係に立つものもあることは、まさに所論のとおりであるが、だからといつて、そのことのゆえに被告人の過失責任を否定し得ないことは、前説示のところから自ずと明らかであり(なお、所論指摘事項のうち構内信号機の設置のごとき事由は、被告人の過失の態様に照らし、右にいう条件関係にも当たらない。)、原判決が、本件事故と所論指摘の事由との間に法律上の因果関係がない旨説示したのも、その趣旨に出たものであることは、原判文上明白であつて、所論の論難は的はずれであるというほかはない。

その他所論が原判決の認定説示を種々論難するところは、いずれも原判決を誤解するか、もしくは本件訴訟が国鉄の企業責任の有無ではなく、被告人個人の刑事責任の有無を審判の対象としていることを忘却するに出でたものというべく、しよせん採用の限りでない。

以上の次第で、原判決には何ら事実誤認ないし法令適用の誤りは存せず、論旨はすべて理由がない。

よつて刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき同法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡村治信 小瀬保郎 南三郎)

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